【保存版】高気密高断熱の闇の歴史 【再録】
チャンネル登録をよろしくお願いします!
こんにちは、日本住環境 広報部(イエのサプリ編集部)です。
このブログでは良い家づくりに必要な情報を丁寧に解説していきます。
これから家を建てたいと考えている一般の方はもちろん、実際に家づくりに携わっている方にも「タメ」になる情報をお届けします。
日本では近年、断熱等級6や7が新設されるなど、住宅性能が向上しています。
ですが、数十年前の住宅を見てみるとほとんど断熱材が入っていなかったり、気密処理がまったくされていないことも珍しくありませんでした。
今回は「住宅性能の歴史〜高断熱高気密住宅ができるまで〜」というお題で、歴史的な背景からなぜ住宅に性能が必要とされてきたのかということ、「高断熱高気密住宅」という概念ができるまでをひとつの区切りとして解説していきます。
目次 [表示させる]
序章~夏をベースにした昔の家づくり~
「家のつくりようは、夏をむねとすべし」というフレーズを聞いたことありませんか?
これは吉田兼好が徒然草で書いていたフレーズです。
学校の教科書などにものっているので、多分みなさんも一度は聞いたことがあるかと思います。
(吉田兼好)
吉田兼好という方は鎌倉時代末期に活躍した人物なので、およそ1300年代ごろの話です。
ちなみに「夏をむねとすべし」の後は「冬はいかなる所にも住まる。あつき頃わるき住居はたえがたきことなり…」と続きます。
このフレーズから「昔の住宅では風通しの良い、夏をベースにした家づくり」というのが基本だったということがわかります。
(夏をむねとした昔の住宅)
現代でも日本の夏、特に本州なんかは高温多湿ですよね。
昔の人は冬の寒さは厚着をして耐えしのいで、夏は家のつくり方を工夫してなんとか快適に過ごすしか方法がなかったのだなということが想像できます。
実際、伝統的な木造住宅は、風通しを良くするため多くの隙間が設けられています。
これは木造軸組み工法、通称:在来工法なんて呼ばれ方をしています。
構造躯体のあちらこちらに隙間をつくり通風を良くし、耐久面でも木造がしっかりと乾燥し丈夫で長持ちするつくりになっています。
こうした先人の知恵は、現在でも多くの日本の住宅で取りいれられ家づくりで活かされています。
(在来工法)
開拓時代~極寒の地での劣悪な住環境~
話は変わって寒冷地。
特に極寒の北海道においては夏をベースにした家づくりというのは死活問題となります。
北海道というのは1869年(明治2年)に「蝦夷地」を改称して、現在の北海道という名前になりました。
(蝦夷地を開拓した屯田兵)
北海道というのはそれまであまり人が住んでいないところから、開拓されていって、徐々に人が移り住むようになりました。
人が移り住むということは住宅が必要になります。
その住宅はどんな住宅だったかと言うと、開拓が始まった当初は、本州の住宅構造がそのまま持ち込まれていました。
つまり先ほどの夏をベースにした住宅です。
(開拓小屋/写真提供:北海道開拓の村)
極寒の地で、風通しの良い住宅です。
想像しただけで嫌ですよね。
ちなみに作家の司馬遼太郎が、著書「街道をゆく」で1890年(明治23年)に旭川市の屯田兵屋に訪れた感想を次のように残しています。
「小屋とも言いにくいほどに小さい。
その貧寒(ひんかん)とした粗末さ――(中略)この寒冷地でほんとうにこの小屋に生きた人間が住んでいたのかとうたがわれてくるほどである」
こんな風に書いています。
とても劣悪な住環境に住んでいたことがわかります。
とにかく当時の北海道の人にとって冬は寒いのが当たり前、がまんの生活が基本の時代でした。
防寒時代~グラスウールの普及~
「住まいを少しでも暖かくしたい」という道民の想いを受けて、1953年(昭和28年)には国会で「北海道防寒住宅建設等促進法」通称:寒住法が制定され、北海道の気候に適した防寒的な住宅の建設が始まりました。
当時は、断熱材としてオガクズ、モミガラ、ワラクズなどが使われていました。
(オガクズ)
構造的には、防火、防寒の目的で、道内に無尽蔵にある火山灰を使う建築用のブロック造の防寒住宅が行政ベースで普及促進がはかられました。
(小樽運河沿いのブロック造の建物)
現在の木造住宅に使用される断熱材、その主流であるグラスウールは1964年(昭和39年)から40年にかけて出回りはじめました。
ここから徐々に断熱材の厚手化が進んでいきます。
とだんだん厚手化が進んでいますね。
構造面ではブロック造住宅の普及のため、住宅金融公庫(現住宅金融支援機構)の個人住宅はブロック造のみとなっていました。
しかし1969年(昭和44年)に木造も融資の対象となり、木造の防寒住宅というのも公庫融資で増えました。
こうした公的支援もあり、北海道の住宅の最大の課題であった断熱性能は格段に向上していきました。
このように「住まいを少しでも暖かくしたい」という願いを具現化していったのがこの時代です。
省エネ時代1~省エネルギー基準の制定~
そしてこの時代、2つの大きな事件があります。
そのひとつが「オイルショック」です。
第四次中東戦争の影響から1973年(昭和48年)に第一次オイルショック、イランでの革命から1978年(昭和53年)に第二次オイルショックが起こりました。
(2度のオイルショック)
原油が高騰して、国内でも石油危機になり、スーパーでトイレットペーパーの買い占め騒動が発生しました。
そして住宅業界でも製材が2倍に値上がりするなど大きな影響を受けました。
それだけではありません。さらにこのオイルショックによって、灯油の値段が跳ね上がります。
(オイルショックの影響)
この影響を受けたのが、またしても寒冷地に住んでいる人たちでした。
当時の北海道は石油ストーブが主流の時代ですから、命にかかわる重要な問題です。
各家庭の経済にも多大なる影響を与えることになった大事件といえます。
このオイルショックを機に「灯油を節約しながら住宅を、何とか暖かい家にしたい」という「省エネ」の必要性が叫ばれるようになりました。
「冬暖かく」だけでなく、「省エネの家にできないか」という声がどんどん大きくなっていった結果、また国を動かしていきます。
(国会議事堂)
1979年(昭和54年)に日本で初めて「省エネ法」というものが制定されます。
建築の分野でも翌年の1980年(昭和55年)に「省エネルギー基準」というものが制定されました。
これは通称:「旧省エネルギー基準」、又は「昭和55年基準」と呼ばれています。
その概要は「気象条件によって全国を5つの地域に区分し、地域ごとに断熱性、日射遮蔽性等に関する基準を規定する」というものです。
住宅性能の歴史の中ではひとつのターニングポイントともいえます。
省エネ時代2~断熱材の厚手化によるナミダタケ事件~
さて、この時代の大きな事件は「オイルショック」だけではありません。
もうひとつの大きな事件を解説します。
まずこの時代の大まかな断熱の歴史を掲載します。
- 1971年(昭和46年):断熱材50㎜
- 1973年(昭和48年):断熱材100㎜
- 1975年(昭和50年):ブローイング工法
- 1978年(昭和53年):グラスウールの密度が10Kから16Kに
- 1979年(昭和54年):省エネ法が制定
- 1980年(昭和55年): 「省エネルギー基準」が制定
見て分かる通り、この時代は断熱材も厚手化がいっそう進みます。
1971年(昭和46年)は50㎜が基本だった断熱材が1973年(昭和48年)の第一次オイルショックがあった年には一気に2倍の100㎜となっていきます。
150㎜、200㎜厚というものもまれに出現しました。
当時は厚くすれば、厚くするほど暖かくなるという発想でした。
しかし断熱材をいくら厚くしても、あまり効果がないばかりか、予想もしなかった事件が発生します。
その事件とは、北海道で起きた「ナミダタケ事件」です。
(ナミダタケ)
このナミダタケは1974年(昭和49年)頃から問題視されてきましたが、1978年(昭和53年)前後からメディアでも取りあげられるようになり、大きな問題として有名になります。
事件の概要は、新築3~4年目の住宅の床下に大量のナミダタケが発生し、床が腐って落ちるという事例が頻発したというものです。
新しく建てた家の床が、すぐに落ちるなんて絶対嫌ですよね。
何故こんなことが起こったのか。
この「ナミダタケ」に関しては論文がいくつもありますので、興味ある方は是非見てもらいたいのですが、数ある要因の内、大きな原因の1つが「結露」です。
このナミダタケ被害の発生した建物の特徴の一つに床下換気孔の数が少ない、もしくは小さいということが挙げられます。
つまり床下は通風がなく、湿気が多かったということです。
(床下)
基本的に「菌」というのは湿気があるところが大好きですし、水分を大量に含んだ木材は格好の養分です。
室内で生活している限り、水蒸気は発生しますし、床下土壌からの湿気もあります。
この水分が壁体内に浸入し、グラスウールに吸収されます。
このグラスウール、室内側は暖かく湿った空気に接しています。
一方、外気側は冷えた空気にさらされています。
そうすると、どうなるか。
結露は温度差によって発生しますよね。
つまりグラスウールの中で結露が生じたのです。
(グラスウール)
グラスウールの中に生じた結露が、隣接する木材を常時濡らし湿潤状態にします。
その結果、腐朽が進みナミダタケを繁殖させてしまったのです。
この「ナミダタケ事件」をきっかけにさまざまな研究がなされ、対策がとられることになります。
1983年(昭和58年)頃に日本建築学会北海道支部の中に、木造在来工法の改良に関する研究小委員会が発足します。
ここから現在の日本の住宅でも取り入れられる画期的なアイデアが生まれます。
高断熱高気密時代~新在来木造構法~
この研究では実際の住宅の調査はもちろん、実物大の実験棟など大掛かりな研究の果てから、木材が腐ることの原因を「壁の中を床下から冷たい空気が流れることにある」と突き止めました。
断熱材だけ厚くしても性能は上がらず、むしろ壁の中や天井裏で大量の結露を引き起こし、それが「木材が腐る原因」に繋がることを究明したのです。
そして、この問題を解決するために考案されたのが、現在では当たり前となった「通気層工法」や「防湿気密層の連続」といった考えです。
(防湿気密層の連続/写真提供:株式会社シーズン)
道内の工務店がその工法を実行してみると、暖房効率は3倍~5倍に増えるなど、驚くほどの違いがあらわれ、この研究の裏づけとなりました。
この研究の成果は、1985年(昭和60年)に学会で「新在来木造構法」として発表されました。
現在は本州でも認知度が高まりましたが「高断熱高気密住宅」こういった家づくりの基礎研究がここに詰まっています。
良い性能の住宅であることをアピールするために、現在様々な工務店やハウスメーカーがうたっているこの「高断熱高気密住宅」ですが、実に約35年も前にその概念はできあがっていました。
北海道のような寒冷地で断熱性能をしっかりと発揮するには、夏を旨とした住宅ではなく家の無駄な隙間を無くすこと、つまり気密性能を上げなければいけないということが、長年の研究の末にわかりました。
ここまでが高断熱高気密住宅という概念ができあがるまでの住宅性能の歴史です。
今回は「住宅性能の歴史〜高断熱高気密住宅ができるまで〜」ということで、住宅に性能が必要とされてきた理由をお話してきました。
「夏を旨としてきた日本の家造り」から始まり「北海道の開拓と、暖かい住居への欲求」そして「オイルショックと、省エネの必要性」や「ナミダタタケ事件」など、大まかではありますが時代ごとに住宅への様々な問題と、それを解決してきた歴史がわかったかと思います。
本日は「高断熱高気密住宅」ができるまでをテーマとしてきましたが、その理由はこの「高断熱高気密住宅」は概念としてはできあがっていますが、まだまだきちんと普及されてはいない、つまり歴史の途上にあるからです。
(歴史の途上)
約35年前からある「高断熱高気密住宅」がなぜ途上なのか。
この工法が本州に渡るにつれて、「気密」という言葉の意味合いなどもあいまって
「隙間がないのは息苦しい」
「気密をしたら窒息してしまう」
といった誤解も生じ、「高断熱高気密住宅」の本来の意味合いがしっかりと理解されないまま広まってしまったという経緯もあります。
(前回記事「高気密住宅の誤解を解消!」はこちらから)
この「高断熱高気密」には法的な決まりがないため、十分に理解していなくてもPRのためにこのうたい文句を使用することができます。
もちろんしっかりとした「高断熱高気密」の家づくりをされている工務店さん、ハウスメーカーさんはたくさんあります。
しかし全てではないということを、事実として受け止めておいてください。
こんなトラブルも!
【大手ハウスメーカー】手抜き施工の実態丸裸